俳句

11月2日~田中豊二君を悼む~

10月24日友人より、「田中豊二君が急逝した」との電話が入った。

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先月、田中君より四金会(同期会有志)の通知を貰い電話で話をした際、6月ごろ体調が悪くなり、急性肺炎で2週間ほど入院をしたとのことだった。

私も同じ時期に、急に発熱し同期の鵜沼君に診察してもらい、「肺炎に罹りかけているので、できれば入院したほうが良い。」と言われその場で東京の病院に一週間入院したことを伝えた。

「お互いに健康に注意しよう。」と、電話で話し合ったのが最後になってしまった。

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私たちは、終戦前、昭和19年、憧れの校章「旭日桜花」の「都立第3中学」に入学した。

それ以来63年余の付き合いだ。

翌年3月10日の大空襲で校舎は全焼、暫くは焼け跡の教室で勉強した。

家を焼かれて東京を離れていた人も終戦後徐々に戻ってきた。

中学4年が終了した時、新制高校に変更になり、中学4年で旧制高校に入った人、新制高校3年までいた人、合わせた同期会が今日まで続いている。

通称「豊ちゃん」は常に面倒な幹事役としてみんなの世話をしてくれた。

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大学を卒業して、豊ちゃんはキリン麦酒、私は後楽園に入社した。

当時、後楽園はキリン麦酒専売だったので、仕事の上でも随分面倒を見てもらった。

私が販売担当の時、キリン麦酒社長の川村さんは、都立3高(現両国高校)の同窓会会長で、豊ちゃんの紹介もあって、直接接待を受けた事もある。

それ以来、私は『ビールはキリン』と決めている。

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30年以上前、豊ちゃんが京都工場長のとき、先生を含め10数人で京都まで押しかけ、工場見物の後、大宴会を開いたことがある。

二次会では、生まれて初めてで最後の「祇園の御茶屋」に上がり、舞妓さんたちの接待を経験させて貰った事は今でも忘れられない。

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又、退社後,請われて「山種美術館」の館長になった。

千鳥が淵の桜が満開の時期、妻同伴で近くの「山種美術館」にお邪魔した時、忙しい館長さん自ら1時間近く私たちに付き合ってくれ、展示してある絵画について詳しく解説してくれた。

同期会で遊んだ、浅草のビヤガーデン・小柳の鰻と振袖さん・如水会館・後楽園ホテルと思い出は尽きない。

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葬儀の時、厚かましく「弔辞」を読ませてもらい1番上座に座ったが、隣に「山種証券元社長・山種美術館名誉会長」の「山崎富治氏」が居られ、丁寧に挨拶をされて恐縮してしまった。

通夜・葬儀を通して数多くの弔問客が列席され、豊ちゃんの顔の広さに驚いた。

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多数出席した同期生メンバーの誰もが、「いつもニコニコ、怒ったり、荒立てた言葉を聞いたことの無い、あの笑顔にもう合えないと思うと、寂しくて残念でならない。」と話し合っていた。

『友の笑顔 祭壇にあり 秋しぐれ』

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8月27日~納涼落語会~

熱海金泉会と、日曜クラブ主催「お座敷納涼落語寄席」を開催して10年近くなる。

熱海金泉会は、昭和29年に地元有志により結成され、市長・警察署長・土木事務所長・駅長など官公庁の代表と、地元商工会議所・観光協会長、交通会社・旅館などの責任者で構成され、50年以上毎週第3金曜日に開催し、1回も休んだ事の無い珍しい情報交換の会である。

又、日曜クラブも私の親しい仲間で30年ほど前に何となく会食を始めたのが未だに続いている。

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今回は、前座に前熱海後楽園ホテル社長「岸元征英こと、三升家こたつ」同じく前熱海後楽園ホテル総務部長「早川勉こと,平井亭すいか」の二人を迎えた。

岸元さんは、慶応大学落語研究会のキャプテンを努め、今でもOB落語会では、とりを勤めている。

早川さんは、専修大学落語研究会の出身で、定年後は落語研究に精進し目下、老人施設などにボランティア出演をして喜ばれている。

芸名の由来は、函南の平井部落に住んでおり、名物西瓜をもじった物である。

二人とも昨年より数段進歩したように思え、お客さんも大喜びをしていた。

3番目に登場したのは、とりを取る今回のメイン師匠「柳亭燕路」の愛弟子女性の「柳亭こみち」、美人でしかも可愛らしさが残っている。

一昨年に比べ、格段の進歩さすがにプロの厳しさを感じさせた。

サービスに踊った「かっぽれ」は師匠譲りで観客を多いに沸かせた。

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真打登場の「燕路師匠」は名作[火焔太鼓]を面白おかしく、さすがに独演会などを繰り返している円熟味を遺憾なく発揮してくれた。

最近はテレビの影響か、落語をじっくり聴く機会も少なく、地方にいると寄席に行ける機会も無いので、久しぶりにゆっくり聞ける落語を堪能することが出来た。

集まった人たちも、終了後の宴席で、出演者と共に語り合い、夏の一時ノンビリした時間を愉しんでいた。

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この夏は天候不順に加え、地震や洪水で犠牲者も多く、暗いニュースばかり、巷では選挙カーが走りまくりあわただしさが目に付いているので、ゆっくり落語を楽しんだ夕べは、参加者も満足してくれたことと自負している。

さて来年は誰を呼ぶか今から考えておかねばならない。

「大笑い 夏の一夜の プレゼント」
「かっぽれに 思わず手拍子 涼を呼ぶ」

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8月15日~身長と体重~

年に一度、市指定の身体検査がある。今年も7月末に近所の診療所で受診した。

身長177センチ、体重70キロと記録された。

60歳の前半は、身長180センチ、体重は98キロまでになっていた。

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14年前、会社を退職した時、主治医の先生に奨められ、胃カメラを飲んだ。

自覚症状は全く無かったが、2・3日して夜中近く電話があり、「胃に腫瘍らしいものが有るから精密検査をしたほうがいい。」と言われた。

東京の友人のいる大病院で検査をしたところ、かなり悪性の癌が発見され、直ぐに手術をしてもらった。

早期発見のため、又腫瘍の場所が腸に近かったので、胃は3分の1の摘出で済んだ。

後日談だが、妻や娘に「取った胃の3倍以上脂肪のほうが多かった。」と言って笑われた。

そのため体重が30キロ近く減り、70キロをきった。

前から血糖値が高く、「痩せないと糖尿病になってしまう。」と脅かされていたが、食事療法もせず、毎晩酒を飲んでいたので体重は減らず、自分では健康だと信じていたが、手術のお陰で体重が激減し、血糖値も正常になった。

友人の話では、「この癌は転移も無く、完全に除去したので再発の危険は全く無い。もし今度癌になったら、今回と関係が無い。それより、体重が減って血糖値が下がった方が良かった。」と言われた。

その後体重は70キロ前後を保っているが、最近年を取ったせいか身長が1~2センチ低くなってしまい、ズボンは勿論、上着まで合わなくなってしまった。

昔の写真を見ると、まるで他人のようだ。

最近は、顔はしわばかり、風呂上りの鏡を見ると、肋骨が勘定できるし腕の肉も細くなった。

その為か、身体は軽くなり散歩は楽になった。

しかし、スタミナはかなり衰えて無理をすると、足が痙攣するようになった。

最近は1日1万歩の自分で課したノルマを8千歩に減らした。

年は取りたくないものだ。

「ダイエット 上着もズボンも 賞味切れ」

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7月27日~俳聖かるた~

K婦人は、かなり前に御主人を亡くし、その後精密機械の会社を引き継いで、現在も活躍されている。

小柄でいつも笑顔を絶やさず、たいへん感じがよく私は“チャーミング婦人”と呼んでいる。

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今年もお中元に、私の大好物「大吟醸」と、妻と娘の為「カステラ」を送ってくれた。

何より嬉しいのは、各人宛に毛筆の丁寧な手紙が添えられている。

荷物の中に、珍しい文学のお土産「俳聖かるた」が入っていた。

宮城松島旅行の時に購入した物で、私が最近、俳句を習っている事で送ってくれたらしい。

前書きがあった。

芭蕉・去来・蕪村・一茶の数多い句の中から有名で誰にも親しめる句を選びました。

遊び方も「かるた取り」の他に作者あて・季節あて・下の句あて等等色色考えてください。

又習字や俳画のお稽古にも利用してください。

難しい句がありましても何回も読んだり拾ったりしているうちに俳句の五七五のリズムが自然と心に溶け込んで理解されて楽しい物となります。

芭蕉17句・去来4句・蕪村12句・一茶16句合計49句が、春夏秋冬に分けて選ばれている。

例えば、芭蕉の句で

春:古池や蛙とびこむ水の音
夏:夏草や兵どもの夢の跡
秋:秋深き隣は何をする人ぞ
冬:旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

読み札は漢字を交えた五七五で、取り札は俳画の下書きに、下の七五がかなで書かれている。

その絵が一枚一枚面白く描かれている。

選ばれた句は殆ど知っている句で親しみやすい。

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私達の子供の頃は、正月が近づくと兄弟や友人と「小倉百人一首」を取り出して遊んだ物だ。

初め意味はサッパリわからないが、そんなことは関係なく頭から覚えこみ、小学校5・6年生から中学生になると、取り札を読んで、読み札をとる方法で訓練をした。

最近では、かるた遊びは全くしなくなったが、この「俳聖かるた」を見て昔が懐かしくなった。

「いろはかるた」も子供達相手によく遊んだ物だが、教訓めいたその内容は今でもなるほどと思われる内容が多い。

かるた遊びで物を覚えさせるのは手っ取り早い方法である。

「俳聖かるた」を通して子供達に俳句の面白さを普及させて見たい。

「俳聖の 句に親しんで 夏涼し」

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6月29日~吉村昭のふるさと~

南千住から徒歩8分、荒川区立荒川ふるさと文化館で開催されている「吉村昭ふるさと展」を観覧に行く。

規模は小さいが、中身は先生の幼児から戦争経験まで細かく記されていて、後の作品に現われていることが理解された。

日暮里の駅近くに生まれた吉村先生は、昭和20年4月13日の空襲で実家が焼けた様子を細かく記している。

私も中野で空襲に逢い、目の当たりに経験しているのでその様子が良く判る。

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戦前戦後に相次いで御両親を失い、先生自体も戦後肺結核に冒され、胸部の成形手術で肋骨を5本切除している。

正直に言って、この体で文学に志し、あれだけの大作を次から次へと出筆された事は信じられないほど精神力が強かったのだろう。

学生時代の同人雑誌仲間、津村節子さんとのおしどり夫婦作家は、傍で見ていてもお互いの立場を理解しつつ活躍されて、本当に珍しいと同時に羨ましい限りだ。

先生は、原稿の締め切りに間に合わない事は一度もなく、連載物は常に何回分かは用意されていたと言う。

先生のお宅に電話すると、奥様が直接出られることが多く、時には先生が応答される。

あれだけの作品の調査研究も殆ど御自身で行なっていたようだ。

「奥様が「芥川賞」を受賞したとき、先生はどう思ったか。」と言う質問に対し、
「これで生活の心配なく暫く自分の思っている仕事が自由に出来る。」と応えたそうだ。

吉村先生のお別れ会の時、津村先生の御挨拶は、実に清楚の上愛情溢れる言葉で、参加者は皆感動していたのを思い出す。

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先生と同年輩の、城山三郎氏との対話は、終戦前後の混乱期に同時代を生き抜いたお二人の戦争に対する考え、就筆活動調査の正確さ、そして生活態度は、お互いに共通する事を物語っている。

二人とも作家仲間との付き合いは殆どなかったらしいが、話が合ったらしくよく一緒に呑んだと言っている。

相次いで亡くなられたことは本当に惜しまれる。

あの世に行ってもお互いに言葉を交わしていることだろう。

「大家二人 戦争語る 夜寒かな」

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6月24日~淡交フィルハーモニー創立60周年記念演奏会~

6月21日(日)サントリーホールで、両国高校OB・現役で構成されている『「淡交フィルハーモニー管弦楽団創立60周年記念音楽会』が開催された。

当日は多くの関係者でホールはほぼ満員の観衆を集めた。 

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この楽団は、都立3高の合唱団から『やまびこ』が母体となって昭和24年に発足した。

その前年から教育制度が6・3.・3制となり、校名が“両国高校”と変わった。

敗戦後、特に殆ど空襲で焼かれた下町で、音楽活動は容易でなかったが、一部の熱心な人々の努力により、最近は年に1回の定期演奏を初め、記念行事などで活躍している。

OB現役を含め忙しい人達が集まって練習する事は大変な難事業である。

出演者は団友・賛助者を含め何と120人を越えている。

しかも数年前から公立中高一貫教育と為ったので、中学生が何人か仲間に入っているのは嬉しい事だ。

指揮者は昭和50年卒、藝大出の鈴木行一氏、作曲活動もされており、忙しいこの楽団の常任指揮者として指導しておられる。

又、ヴァイオリン独奏は、平成11年卒同じく芸大卒の三上亮氏、各種のコンサートに出演活躍されている。

♪プログラム♪
 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の前奏曲
 メンデルゾーン ヴァイオリン協奏曲 
 ショスターコビッチ 交響曲第5番
そして、アンコール「仮面舞踏会」の前奏曲

なんと言っても極め付きは、校歌“明け暮れのみ教え”思わず観客席から合唱の声が聞こえてきて、会場はいやがうえにも盛り上がった。

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一高校のOB・現役で構成され活躍しているこれほど大掛かりな管弦楽団は有るだろうか。

これを維持するため、我々の同期『ヤマト糊』の長谷川澄雄君が会長となり面倒を見ている。

ありがたいことだ。天下のサントリーホールを満員にしての熱演、卒業生の一人として、同行した妻や娘に鼻が高かった。

同期の友人たちも、終了後興奮して、母校の誇りを語っていた。

「弦が鳴り ラッパが響き 胸うずく」

「久しぶり 校歌聴きて 涙ぐむ」

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6月17日~地震・雷・火事・親父~

昨日は、夕暮れから夜更けまで、久しぶりに雷がなり続けた。

時々窓ガラスが揺れるほど強く、恐らく小さな子供達は震えていたのではないか。

野球放送の最中、停電まであった。

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昔、栃木県のゴルフ場でプレイ中、突然俄かに黒い雲が拡がり雷を伴って強い雨が降り出した。
キャデーに促されて“雷よけの避難小屋”に入った途端、近くの大木に雷が落ち、生きた心地がしないほど脅かされたこと思い出した。

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昔から怖い物『地震・雷・火事・親父』と言われてきた。

しかし戦後『親父』がその地位を失った。

原因は、女が強くなった、と言われるが、私は最大の犯罪者は“給料の振込制度”にあると思う。

サラリーマンは25日に会社から給料を貰い、家では奥さんや子供がそれを待ちわび、夕食にはお頭付きで晩酌の用意をしていたものだ。

それが高度成長の始まる頃、銀行は預金獲得の為、貸出先の企業に強制的に“給料の振込”を要請してきた。

運用資金を得るため会社もこれに協力せざるを得なかった。

私は人事課に居て、給料日の前には、個人個人の給与明細を確認し、銀行から現金を貰ってきて、課単位に金種別を揃え一人一人の給料袋に入れる作業を行なっていた。

作業は大変だったが、1000人以上の社員の顔を思い出しつつ、課員全員での共同作業は月に一回、遣り甲斐の有る仕事だった。

お陰で全社員の名前と給料・家族構成まで覚えていたものだ。

それが銀行振り込みになって、給料を渡すことがなくなり、財布の紐を女房に奪われ、子供達は給料は銀行から貰っている物と勘違いをするようになると、『親父の権威』は丸つぶれになってしまった。

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今では怖い物は、親父でなく、無差別殺人・通り魔・肉親の殺傷事件と変わってきた。

人口の高齢化、核家族、一人暮らし、何か虚しさばかりが目立つこの頃だ。

しかも地球の温暖化が進み、このままでは海水の水位が上がってきて、現在の陸地が海面に沈む減少が進んでくるのは避けられない。

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精神的にも、物理的にも人類自体が追い詰められているのに、世界の何処を見ても政治は混乱、各国は自国の立場のみを優先している。

我々は後がないが、子供や孫の事を考えると背筋が寒くなってくる。


「給料日 冷えたビールに 頭付き」

「振込で 親父の権威 丸つぶれ」

「給料は 銀行が出すと 子は思い」

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5月14日~小学校の同期会~

今週の日経新聞「日曜俳壇」に、久しぶりに投句した句が選ばれた

 「忘れまじ 3月10日 友の顔」

昭和19年に、小松川第一小学校を卒業したが、その翌年の3月10日、私達の町は殆ど焼けてしまった。

その後暫くはお互いの交流はなったが、30年ほど前から有志が集まって同期会が始まった。

今年も先日11日~12日、熱海後楽園泊りがけで開催した。

参加者は例年より少なく、男7名女6名計13名だったが、カラオケ大会から、二次会と夜遅くまで和気藹々の宴が続いた。

二次会の席では、「一人一分ぐらいでスピーチをしよう」と言う提案で始めたが、ほとんどの人が、空襲の思い出話で、途中合いの手が入り、とても一分では終わらない。

疎開をしたまま田舎で過したり、終戦後焼け跡の掘っ立て小屋で過ごしたり、家族や親戚を失った思い出話は、全員共通の話題で、盛り上がった。

今年は一年病気で遅れた私を除いて、全員喜寿を迎えた。

卒業して65年元気で合える事を喜び合って、気持ちよく酔って床についた。

翌日は、バスを借りて、隣のニュー赤尾ホテルが経営している「ハーブアンドバラ園」の見学に行った。

丁度バラが咲き始めて香りが園内に漂っている。

中腹までバスで登り、そこから日本庭園で、日本一大きな松の盆栽の脇を通って、今度はバラのトンネルに入る。

途中休憩所の喫茶で名物の「バラのアイスクリーム」を食べ咲き乱れる花の中を入り口まで散策し、みんな満足して駅まで送ってもらい、秋に又逢う約束して解散した。 

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5月10日~健康と笑い~

最近、大笑いする事は精神的のみでなく、医学的にも大変有効と言われている。

しかし、一方では昔ほど腹から笑える機会が減ってきている気がしてならない。

経済的にはかなり恵まれてきているが、何となく普段の生活に潤いとゆとりがなく、心から笑える事が少なくなっている。

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雑誌「到知6月号」に特集「人間における(ユーモア)の研究」が掲載されている。

江戸時代の市井生活を風刺する「川柳」に始まり、バラティーに飛んだ人々のエッセイが目白押しで大変楽しく、又役に立つ。

その中に、合気道師範「佐々木将人氏」の「笑いの中に真理あり」が目に付いた。

佐々木氏とは、以前何度か講話を聞いた事が有り、面識もあるが、何度聞いても常に抱腹絶倒、腹が痛くなるほど笑わされる。

そしてその中に人生の達人とも言える教育的な話題が充満している。

今回の文章の中にも思わず笑ってしまう冗句が満ちている。少し内容を拾ってみる。

或る会合で3分間の乾杯の音頭を頼まれた。参加者は既に酒やビールを飲んでいて、私語が多く騒々しい。そこで「気をつけー」と号令をかけたら、会場はシーンと静まり返った、すかさず 「たった二人だけの私語が、二十人に迷惑する。それを四×五=二十」といったら大爆笑。「三分間の乾杯の話は長すぎるから、二分と六十秒で終ります。」と言えばまたまた爆笑。

「私は19歳の時、事故で左目をなくしました。これが私の自己紹介、お陰で女房は私に一目惚れ。私は八十二歳だが誰が見ても八一歳に見える。しかも八十二歳だが、この歯は自分の物だ」と、きれいな歯を指差して見せたら、「オー」と感心の声、すかさず入れ歯をとって見せたら大笑い。「この歯は、お金を出したから俺の物。しかしこの体はお金を出していないから俺の物ではなく、神様の物、だから神の体、神体(身体)と言う。

など、わずか3分間で10回以上も笑った。

 佐々木氏はこうしたスピーチの場だけでなく、人生を生きる上で、ユーモアは大変大切で、車のハンドルに遊びがあるように、心にも余裕がなければ、悠々とした人生は送れない。と説いている。

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元来、日本人はユーモアを解さない、と言われている。

そのため外交交渉などでもゆとりがなく不利な条件を飲まされる事が多いと聞く。

しかし、川柳のように、江戸時代にはエスプリの効いた話が多くあり、古典落語にも人生の機微にユーモアを感ずる話も少なくない。

ユーモアに富んだ人はなるには、かなり勉強もし、深い教養が必要である。

又逢って話を聞きたい人にはそれなりの駄洒落ではないユーモアを持っている。

少なくとも、そのような人のユーモアを敏感に理解できる人間にはなりたい。

経済不況や、新型インフルエンザにおびえている現在の世の中、大笑いの出来る話題を探してきて、明るく生きたいものだ。

「大笑い 不況も病気も 吹っ飛ばせ」

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5月7日~大楠祭~

5月5日、例年開催される来宮神社「大楠祭」今年は初めて小雨模様、それでも屋外大楠の前で式を挙げる事が出来た。

雨宮宮司の話で、

「楠は4月に若葉御生え変わってから旧い葉が落ちる。したがって秋には葉が落ちる事がない。」

そういえば、地元老人会で、毎月一日に境内の掃除をするが、この時期に一番落葉が多い。

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来宮神社の境内に5本の大楠があった。

或る時、村に災難が起き大金が必要になった。

村の責任者が集まって相談し、大楠を処分して換金する事に決めた。

3本伐って、4本目を伐ろうとした時、突然みんなの前に、白髪の老人が現れ、

「残った木まで伐ると、この村に大きな災難が降りかかる。」

といって姿を消した。

後難を恐れた村人たちは後の2本切るのを諦めたので、現在も残っている、と言う昔話が伝えられている。

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この大楠の周りを一回りすると1年寿命が延びると、言う伝説があり、観光客たちも、祈祷の後歩き回っている。

樹齢は2千年を超え、国指定の天然記念物に指定されている。

大楠祭の日に神子が、神社の近所西山に住み92歳の天寿を全うした日本初の文化勲章の受章者「佐々木信綱先生」作の

「来宮は 樹齢2千年の楠木のもとに み国のさかえ いのりまつらん」

という歌に合わせ、初夏の風に乗って舞を奉納する。

境内では、抹茶のサービスや、信者の婦人部が売店を開いて参拝者を喜ばせている。

「大楠の 若葉映えたり 神子の舞」

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4月19日(名前と健忘症)

最近、話の途中で言葉に詰まる事が多い。

特に人の名前が出てこなくて話題を中断せざるを得なくなる。

以前、或る新聞のコラムに「君の名は」と題して投稿したことがある。

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ホテルのフロントで、お客様を迎えているとき、先方から挨拶をされ、顔は何度も見たことがあり、当然先方は私の事を知っている。

ところが何処の誰かどうしても思い出せない。

いまさら先方の名前を聞くわけにも行かず、やむをえないので差しさわりのない挨拶と話題で済ませたが「それではごゆっくりお過ごし下さい。」と、いって別れて後姿を見た途端思い出した。

後で話題の中で先方に失礼がなかったか?と、思わず顔が赤らむ思いをした。

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こんな話題を同期会ですると、「俺もそうだ」と言う人が殆どだ。

年のせいでやむを得ない、と自己弁護をしたいが、やっぱり認知症やアルツハイマーの話を聞いていると心配になる。

私達の年代になると、困るのは昭和・平成と西暦がピンと来ない事だ。

西暦で言われると、昭和に換算するのに時間が掛る。

まして、明治・大正となると直ぐには理解しにくい事がおきる。

新聞の[訃報]記事を見ると直ぐ自分の年と比べてみるのも年を取ったためか悲しくなる。

私の母は、12年前に103歳でなくなったが、100歳を超える頃まで割合とはっきりしていた。

特に最近の事はあまり覚えていないが、旧い事は信じられないほど正確に覚えていた。

時には思い出したように、子供達の失敗談や、困らせられた事などを言い出してみんなで大笑いをしたことも有る。

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時々、2階に上がってきて何しに来たか忘れて下まで降り、[ああ、そうだ]と思い出して又上がってくる事がしばしば起こる。

妻と二人で出掛ける時、双方で探し物をしている。1日のうちに探し物に費やす時間は馬鹿にならない。

テレビに出ている旧い俳優の名が思い出せず、それが気になってドラマの筋が追えなくなることもある。

時には忘れてしまいたい事もあるが、皮肉な物で、そういうことは何時までも忘れない。

「人の名は 桜と共に 散り行きぬ」

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4月11日~勝負は怖い~

春爛漫、スポーツ花盛り、期待された「石川遼選手」は残念ながらマスターズ予選突破はならず。

しかし途中まで何とか通過できそうに頑張ったので将来は明るいと思う。

初めからあまり順調に行過ぎると返って落とし穴があるので、今はじっと我慢の時かもしれない。

代わりにと言っては失礼だが、やはり実力者「片山晋呉選手」が4アンダーで頑張り、「今田竜二選手」も予選を通過している。

日本人のゴルファーも世界に肩を並べる日も遠くないのではないか。

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一方、インターネット情報によると、ヤンキースの「松井秀喜選手」がスタメンを外されピンチのようだ。

ここに来て怪我が再発しているのか、寂しい限りだ。

日本のプロ野球も、阪神の「金本選手」がわずか7試合で3打席連続ホームランを2試合も続け、毎試合打点を稼ぎ何と21打点を挙げている。

にも拘らず、チームは負けが先行している。

一方、阿部選手の代役「鶴岡選手」が1試合2ホーマーを放ち勝利の立役者となっている。

鶴岡選手は今まで年間で3ホーマーを打ったことが1回あるだけなのに、今年は既に3ホーマーを記録している。

昨日の試合を見ていても、ダブルプレーを取れない後ホームランを浴びるケースが見られ、何処で何が起きるか全くわからない。

カップを舐めながらホールに嫌われ、その1打で予選落ちをしたり、優勝を逃したりする。

あの1球がど真ん中に入ってしまって、折角の好投をフイにしてしまう。

勝負の世界は本当に怖い。

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しかし、考えてみると、人間の生活は、毎日このような機会に晒されている。

商売だって、自分の責任もあるが、世情の変化で危険に陥る事はしばしば遭遇する。

交通事故・地震を始め天災・流行病など、常に我々の周囲に存在している。

毎日勝負をしているような物だ。

結局は自分で自分を守り、勝負していく心構えが必要なのだ。

「その一球 待ってくれない 人生だ」

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3月5日~2/28 逍遥忌記念祭~

コンピューターの調子が悪く、遅れてしまいました。

2月28日は、坪内逍遥の命日。毎年、逍遥協会・熱海市の主催・熱海稲門会協賛で、記念祭が開かれる。

今年も起雲閣の音楽サロンに100名以上の参加者で開催された。

初めに、熱海市長・市議会議長・熱海稲門会会長・早稲田演劇博物館館長の「お慕いの言葉」が奉読され、続いて岐阜県美濃太田逍遥記念館館長の来賓挨拶があった。

その後、市内有志の先導により、逍遥作詞の「熱海市歌」を全員で斉唱した。

私は、熱海稲門会会長として下記の言葉を述べた。

 お慕いの言葉

例年にない気候の変遷で、梅園の梅は二月末というのに既に満開となり、多くの観光客で賑っております。

今年も逍遥協会並びに熱海市役所担当者の皆さんのお陰で「逍遥忌」が盛大に開催され、深く感謝をしております。熱海稲門会を代表して一言お慕いの言葉を述べさせていただきます。

昨年来の全世界的経済不況は、留まる所を知らず未曾有の危機を迎えております。加えて、日本国内の政治は目を覆うばかりの惨状を呈しております。社会状態も連日信じられないような事件が続出しており、このような現状を作り出した現在生きている私たちは、先祖に対して申し訳ないと思っています。

熱海市も逍遥先生の目指した、「共有国宝」「世界の公園」とはほど遠い現状をどのように改善していくか難しい問題が山積しております。これを克服するには、市民全体が自覚を持って邁進していくのが唯一の解決方法です。それには逍遥先生を初め先人たちの残した教訓を生かして、熱海の良さをアピールしていかなければなりません。

幸い最近「おんたま」と題して若手を中心に街中を見直す運動が脚光を浴びつつあります。再建は一朝一石にできる物ではありません。辛抱強く続けていくべきです。

今年は、逍遥先生の生誕百五十年に当たります。改めて先生の遺徳を偲ぶべく、逍遥協会、菊地先生の演出による[シェクスピア]劇の朗読と劇中歌を捧げます。

私たち熱海稲門会も、微力ですが先生の尊い遺志を継ぎ、熱海発展のため尽くす事をお誓いしてお慕いの言葉といたします。

休憩を挟んで、アトラクションに入る。

菊地先生のシェクスピア劇の中からいくつかの場面を解説を交えながら朗読し、その間に、娘範子と厚かましく私が12曲ほど、短い「劇中歌」を歌った。

言葉が難しい上に、メロディーも始めて聞くもので、3週間ほど前から娘に特訓を受けたが、本番になってすっかり上がってしまい、出だしから間違えたが、参加者も初めて聞く曲なので何とかなったと思っている。

翌日、地元新聞に大きく写真まで掲載されたので友人たちに冷やかされた。

「劇中歌 娘と歌う 逍遥忌」

「逍遥も 泉下で笑うか 劇中歌」

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1月24日~オバマ就任式~

今世紀初の世界的イベント「黒人大統領の就任式」が、何と人口60万人のワシントンに200万人の聴衆を集めた。

このニュースは全世界で大々的に報道された。

如何に現在、世界中がアメリカの動向を気にしているかを物語っている。

昨年のサブプライム問題に端を発した世界的金融不況の現況のアメリカが、今後どのように経済的に立ち直るか、又イラク問題で行き詰まり、アフガニスタンでてを焼いている外交問題をどのように解決していくか。

オバマ氏に託された責任は計り知れない。

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日本人のオバマ支持率が90パーセントと報じられた。誰もがこの閉塞感から何とか逃れたいと思っている証拠だ。

果たしてオバマ政権は日本にとって幸運を齎せてくれるのか期待は大きい。

しかし、それには今の日本の政界の状態では、アメリカ政府もまともに付き合ってくれるか心配である。

中東の海賊襲撃に対する日本の及び腰、自衛隊の行動範囲に対する憲法問題、アフガニスタンに対する貢献など、問題山積に対して、麻生内閣と民主党の対立、まさに仁義無き戦いの様相に呈している。

このままでは、世界の流れから日本だけが蚊帳の外に置かれてしまうのではないではないだろうか?

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株価が7000円台半ばまで急落を始めた。

円高も進む。

大企業の雇用調整が毎日報道されている。

治安は乱れ、子供に対する犯罪も驚くほど増加している。

誰もが感じていることを、ブログに書いてどうなるものではない事を知りながら、ついぼやきたくなってしまった。

次は何か明るい話題を探してくるので今回は勘弁して貰いたい。

「ぼやいても 冬の寒さは 増すばかり」

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1月11日~明日~

熱海第一小学校の校庭を横切り、隣の来宮神社におまいりするのが日課になっている。

校庭に面した校長室のガラス扉に、ある日「明日」と大きく清書した紙が張り出されていた。

顔見知りの校長先生が丁度部屋にいたので「これは何ですか?」と、たずねると、
「子供たちに明るい日を過ごしてもらいたいと願っています。」と、いう返事が返ってきた。

この学校では朝7時過ぎると、殆どの全校生徒が運動場を走り回っている。

中には縄跳びをする者、又並んで徒競走をしているなど、元気な声を出して運動している。

その中に先生方も混じっている。

私がそばを通るとそろって「おはようございます!」と挨拶してくれる。

時には、校長先生も仲間に加わっている。

この光景を見ていると私まで元気になってくる。

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今学校は変換期に差し掛かっている。

文部科学省では、一時のゆとり教育の行き過ぎから、学力を取り戻す方針に変えようとしている。

先生方も迷っている面が多いと思う。

“単なる授業時間のみでなくいろいろの仕事に追われてゆとりもない”と、聞いている。

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このようなときに早朝から出勤して子供たちと一緒に運動するのは相当の負担と思うが、子供たちと行動している先生たちの顔も大変明るい。

学校全体に活力がみなぎっているように見える。

最近は、熱海の学校は、不登校生徒・校内暴力など嫌な噂を聞かない。

マスコミは連日青少年の事件が報道されているが、今の本校のように全校一つになって指導していく体制が整っていけば、善良な方向に向かっていけるのではないだろうか?

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登下校の子供たちも、声を掛ければ元気よく挨拶を返してくるし、先方から挨拶を先にされる子供もだんだん多くなってきたようだ。

少子高齢化の進む世の中、健全な子供たちの成長は日本の将来にとって何事にも変えがたいものである。

私たちも出来るだけ子供たちの成長に役立つことに心がけねばならない、と、肝に銘じた。

「白き息 運動場に 満ち溢れ」

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1月4日~謹賀新年~

今年の正月は珍しく三が日とも快晴・無風、しかも暖かく、歩いていると汗ばむほどだった。

太平洋上に上る初日の出、左手に大島・初島がくっきり浮かび、徐々に姿を現す様は動くパノラマ、思わず手を合わせ、あまりの美しさ、神々しさに惹かれて4日間毎日拝みに行ってしまった。

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その晴天の中、関心はなんと言っても「箱根大学対抗駅伝」だった。優勝候補の駒大と早稲田の争いと、誰もが予想していた。

ところが、東洋大学の一年生「柏原」という途轍もない新人が、5区の山登りで、あれよあれよと言う内にごぼう抜き、5分近くあったリードをひっくり返し、往路優勝を飾った。

一方昨年の優勝校「駒澤大学」がスタートからブレーキの連続で大きく出遅れ、とうとう最後まで調子を取り戻せず、シード権まで失ってしまった。

2日目は、東洋と早稲田のデッドヒート、区間ごとにトップを奪い合ったが、最後は問うように初優勝を奪われてしまった。

駅伝という競技は一人一人の力の繋ぎ合わせた物、だが、実際はチームワークの賜物、精神面がいかに大切かを知らされた。

早稲田が惜敗した悔しさはあったが、それより東洋の健闘を見て爽やかさを感じた。

しかも参加校全体のレベルが上がり、繰上げスタートが殆ど無く、優勝をした東洋、2位の早稲田をはじめ、各校の1・2年生の活躍が目立った事は、将来に繋ぐ大きな財産となった。

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昨年からの不況ニュースが、新年の新聞・テレビでも盛んに取り上げられている。

確かに政治も経済もお先真っ暗だが、ぼやいていても仕方がない。

何とかこの苦境を乗り越える方策を見つけ出さなければならないのに、自民党も、民主党も、自分たちの政権保持奪還のみに勢力を傾け、果たして国民とか、日本の将来を少しでも考えているのが疑いたくなる。

アメリカでは新大統領が今月中に登場してくる。現状わが国としてどのように対応できるのか、日本の【チェンジ】はどうしたらいいのか本当に困ったものだ。

今では誰でも良い、この国難を救ってくれる救世主はいないのか。

駅伝の「柏原君」のような政治家が彗星のごとく現れるのを祈るほか無いのか?

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青森県の八戸市周辺9万戸が、正月早々断水したそうだ。寒さもきびしくなってきたのに、水が出ないとは本当に気の毒だ。

このような事件が起きる度に、われわれは日常当たり前と思っていることがいかに有難いことが、感謝しなければならないと思う。

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ニューギニアの地震の影響で、日本各地に津波警報が出された。

数年前に起きたインド洋の大地震と大津波が思い出された。

「グローバル世界」といわれるが、自然現象は地球上密に繋がっている。

温暖化問題が、今年も世界中の関心を引く事だろう。

今生きている人が、未来に何を残していくか、誰もが真剣に考えていく義務を背負っていることを忘れてはならない。

「初日の出 大島・初島 浮かばせて 動くパノラマ 平和を祈る」

「箱根路を 若者走る 襷かけ」

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11月11日~日本シリーズ~

ジャイアンツが負けた。

残念だが、今年の西武の投手陣の充実ぶりは目を見張る物があり、双方とも全力を尽くした名勝負と言えよう。

アメリカ野球の話題に押されがちだった日本のプロ野球も、今回の日本シリーズで少しは活気を取り戻したといえる。

何より両チームとも、若手の選手が大活躍をして、来年に向かって明るい展望ができた事は大きい。

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それにしても勝負の世界は厳しい。

最終戦の攻防は見応えがあった。テレビの視聴率も20パーセントを超え、瞬間には40パーセント近くになった。

ここ数年、プロ野球の視聴率が低迷、時には全く登場しない日もあった。

スポンサーは正直だ。面白くない物は冷酷に見捨てられてしまう。

今年の日本シリーズを転機として、来年以降の活躍で、面白いゲームが数多くなる事を期待しているのはプロ野球ファンの共通の願いだと思う。

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経済も、政治もお先真っ暗。

全世界が右往左往している。

新聞紙上の記事を見ていると、この世の末期のような気がしてくる。

戦後の苦しさに比べたら、まだまだましだと思うのだが、人間の心理は現在の自分の置かれている状態について常に比較論的だ。

急上昇した暮らしに慣れきっていた生活から、下に向かってくると絶望的になってくる。

昔から、「上を見ればきりが無い」と言われている。

このあたりで根本的に見直して自分たちの生き方を考え直す時期に来ているのではないだろうか。

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アメリカでは、史上初めての黒人大統領が登場してきた。

サブプライム問題に端を発した経済の混乱をどう処理していくのか、期待と不安の出発だ。

何より、この政変が日本に及ぼす影響がどうなって行くのか。

アメリカの政変は、日本と違って根本から変わってくる。

何しろ、大統領が変わると、重要ポスト何千人の人々が職を挿げ替えられていくという。

これから、数十日は、アメリカの社会がどう変わっていくのか想像も付かない。

ともかく勢いは衰えたといえども、世界の情勢を左右していく一番手はなんと言ってもアメリカだ。

「世は変わる時は流れて冬も来る」

「深呼吸苦しい後に春が来る」

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11月4日(火)~認知症~

戦前、板東妻三郎主演 「無法松の一生」映画の中で、「沢村アキオ」と言う名子役が初出演した。

学芸会の前夜、お膳の上で歌った「青葉の笛」は、私の記憶の中でまだはっきりと残っている。

この子役が、現在の「長門裕之」である。

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3日の8チャンネル ドキュメンタリー宣言「消え行く妻の記憶」の番組は、大ショックと大きな感動を受けた人は多いと思う。

私もまさに(明日はわが身)既に記憶喪失に陥っているのではないか、と最近の物忘れが気になっていたので心配になった。

それにしても、自分の家族の汚点とも言える実情を赤裸々に公表する勇気に敬意を表したい。

つい10日ほど前に、岩波ホールで「夢のまにまに」と言う、長門裕之主演の映画を見たばかりだったので、一段と刺激を受けたのかもしれない。

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人間誰しも年を取れば多かれ少なかれ同じような道を辿る。

避けて通れないと知りながら、自分だけは大丈夫と思っている。交通事故と同じだ。

南田洋子さんが、長門さんお父上「沢村国太郎さん」の老後の看病をしたときの映像には、売れている最中の女優さんとの二股で苦労されたのがにじみ出ていた。

長門さんはその恩に報いて今のようにねんごろに看病をしている事もあるのか、いずれにしても芸能界の(おしどり夫婦)と言われたお二人に拍手を贈りたい。

「老いを知り老いを語りて秋更けぬ」

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11月1日-2日~スポーツ三昧~

11月1日 ナビスコカップ決勝戦。

キックオフ30分前に入場すれば良い、と思って国立競技場に着いて驚いた。

既に超満員、オレンジ色とブルーに染まり立錐の余地も無い。隣の野球場では、優勝を決める早慶戦が開始されている。

神宮の周りは人の波、絶好の秋日和に恵まれ歓声に競技場が沸きかえっている。

1時35分キックオフ。球が左右に行き交うたびにサポーターが立ち上がり声援を送る。

一進一退で前半が無得点のまま終わる。夫々きわどい球がゴールを襲うが決定打が出ない。

心なしか清水エスパルスのパス通りが悪い。

最近のリーグ戦は快調で連勝を重ねていたが、今回は今ひとつ物足りないと見ていたが、一寸した隙に大分に先制されてしまった。

それからもあせりの為かパスが思うように廻らないうちに終了間際、2点目を取られてしまった。

残念至極、勝負の世界は厳しい。

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夜の日本シリーズに間に合わす為、新幹線で急ぎ家に戻る。

巨人・上原、西武・涌井の先発で始まる。

エラーがらみに,ラミネスの当たり損ねのヒットで幸運の先取点を貰ったが,その次の回、伏兵「後藤」にホームラン、同点の6回今度は西武の当たりや「中島」に痛恨のホームランを打たれ、2-1で敗れ、結果的にはわずか2安打の惨敗を喫した。

サッカーと野球、両方とも破れ付いていない。

早慶戦だけは、斉藤が快投して秋のリーグ戦に優勝を齎したのが唯一の収穫だった。

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11月2日、ゴルフで、石川遼選手が、見事なスーパーショットの連続で、ツアー初勝利、17歳とは思えぬすごい選手が出現した。

ギャラリーの数も彼の周りを取り囲み物凄い。しばらく女子ゴルフに人気を独占されていたが、これで男子もスーパースターの誕生で息を吹き返すのではないか。

日本シリーズも、同点の9回裏ラミネスの劇的ホームランで一勝一敗に漕ぎ付け、舞台を西武球場に移した。

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この所、経済界をはじめ社会的のも暗いニュースばかりなので、明るいスポーツの話題が取り上げられるのは、世の中を活気づけるのに頼もしい事だ。

「白球に一喜一憂天高し

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10月26日~巨人日本シリーズ進出~

去年、セリーグ優勝しながら、クライマックスシリーズで、中日に3連敗して日本シリーズに出られず悔しい思いをした。

今年は、13ゲーム離されていたペナンとレースをひっくり返してやっと優勝した。

これで3位の中日に負けたら、折角の優勝がフイになると同時に返って敗北感を味わう事になってしまう。

本当に良かった。

西武の渡辺監督も、「リーグ優勝チーム同志が戦って始めて日本一を争う事になる。」と喜んでいた。

久しぶりに面白い日本シリーズになりそうだ。

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柳田邦男さんはエッセイの中で「個人情報保護で、この世は暗黒へ」と言っている。

私も全く同感で、以前から危惧を抱いている。

町内会で子供の登下校の安全を守る為に、ボランティアで道路安全を呼びかけ、朝夕多くの人が携わっている。

しかし、驚いた事に、町内で今年小学校に入学した子供の名簿を市に要求したが、規則で教えられないと言われた。

それでは何処の誰を守れと言うのか。

地震の時、一番頼りになったには近所の人の援助だと、阪神淡路大地震外各地の災害の経験が報じられているのに、隣近所に誰が住んでいるのか情報を保護と言う名の素に教えられないとは情けない話だ。

先日、友人が亡くなったので、外の友人に知らせる為に母校に「住所か電話番号を教えてもらいたい」と電話したら、「当人の許可がないと教えられない」と言われた。

不明だから聞いたのに当人の許可が必要とは全くあきれてしまった。

まさか、新聞広告をするわけにもいかないし、まさに「羹に懲りて膾を吹く」の典型だ。

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最近町内地図の看板が旧くなり、内容もかなり変わってきたので書き直す事になった。

ところが3割近くの人が地図に表示しないで貰いたい、と言ってきた。

表札も出していない家もあるそうで、郵便屋さん泣かせとなっている。

日本人は其処まで他人を信用できなくなっているとは、恐るべきことだ。

「千歳飴小さな紳士和装にて」

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9月15日(月)~敬老の日・誕生日~

敬老の日、私の78回目の誕生日だ。

戦後、まだ若い時に誕生日が「老人の日」に決められた。あんまり気持ちの良い物ではなかった。

しかし、年を取って還暦を過ぎた頃からは「誕生日」と「敬老の日」が一緒の日になったことを嬉しく思っていた。

ところが、数年前から連休を増やす為か、なんの断りも無く、敬老の日を「9月第2日曜日の次の日」に変更されてしまった。

同じく「体育の日」も10月の第2日月曜日に変更してしまった。10月10日は、日本の高度成長のきっかけを作った「東京オリンピック開会日」と言う記念すべき日である。

由緒ある記念日を適当に変更してしまって良いものだろうか。

日本の伝統の良さが崩されてきているのも、こんな所に現われてきているようで悲しくてならない。

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久しぶりに図書館で「山本夏彦」の随筆集を借りてきた。40年以上も続いていた辛口の文章が小気味良く並んでいる。

特に共鳴した項は、

「世界の国で、自分の国の悪口を子供達に教えているのは、日本だけだ。アメリカの大統領は、原子爆弾を、広島・長崎に投じて30万人以上の民衆を死に追いやった事についてただの一度も謝罪していない。

戦争の為やむをえなかった、と割り切り日本に対して一切の弁明はしていない。にも拘らず、日本政府は日本軍が残虐行為を繰り返した事を認め、「南京大虐殺」のように事実を曲げて拡大した事件まで、総理大臣が陳謝をし、子供達にまでそれを伝えている。戦後の教育が「日教組」に犯されたと嘆いている。」

と指摘している。

英国を初めヨーロッパ各国の17世紀以降の植民地政策の過酷さは、筆舌に尽くせないほど酷いものである。

しかし、これを自国民に公表している国は一つも無い。何故日本だけが、子供達にまで日本だけが悪者扱いに吹き込むのか。

私も山本氏と同じように、戦後60年余の教育は「日教組」の左翼思想に指導権を握られ、日本の伝統を無視し、道徳教育をないがしろにした付けが、今日の教育界の腐敗と、世相の混乱を招いたと思う。

これを修正すのに何年掛るだろう。いや、修正する可能性はあるのか。

日本人全体が本腰を入れて旧きよき時代の道徳教育と、全な思想の再現を計っていく以外に方法はない。

「20世紀に、東方に「日本」と言う優れた国があり、一時期驚異的発展を遂げたが、教育政策の失敗と、道徳面の退廃により三流国に成り下がってしまった。」

と言われないようにする義務が、現在の大人に課せられている。

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月刊誌『到知』10月号に「修養のすすめ」と題して、本田財団理事長・元コミッショナー 「川島廣元氏」と古川財閥5代目・古川電気工業相談役「古川潤之助氏」の対談が掲載されている。

その中で、85歳の川島氏は、自己研鑽のため、毎日以下を行っているとあった。

  • 1日10回 腹を抱えて笑う
  • 1日100回 腹式呼吸をする
  • 1日1000文字以上 書く
  • 1日10,000歩以上 歩く

そして、1口50回以上噛んであごを鍛える。

古川氏は、毎朝決めて「読書」をし、歩く事に努め、ゴルフ場では、カートには乗らない。しかし、川島氏にはとてもかなわない。と話している。

二十数年前、縁あって、川島氏とゴルフを付き合わせていただいた事がある。

その時の印象で、全く偉ぶらず本当に昔からの友人の様似に接してもらった事を思い出した。夜の宴席でも、話題も弾み素晴らしい人間性を発揮されていた。

毎日実行されていると言う、1日に1000文字以上書く。すごい事だ。

最近は直ぐパソコンで叩く習慣が付いてしまい、たまにペンを持つと、普段使っていた漢字が出てこない。

ワープロソフトでは機械が漢字を出してくれるので、つい億劫になって辞書を引かなくなった。時々変換を間違えてとんでもない言葉が出てくる。

最近はNHKのテロップでも間違いがあって、アナウサーが謝ってるケースをよく見る。手抜きとは恐ろしいものだ。これからは、下書きはなるべくペンを持つ事にする心算だ。

「山鳩の低音静か秋来る」

「一瞬に川と化したる豪雨去り呆然として空を見上げぬ」

「納涼の素人落語大爆笑」

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8月31日(日)-子供の疑問

NHK第一放送で、「夏休み子供科学」の質問番組が午前中に放送されている。

時々運転しながら聞くと、はっとする事がある。

先日小学2年生の子が、「太陽は、何故朝日と夕日は大きいのに、昼間は小さくなるのですか。」と、質問していた。

なるほど言われてみると、今まで何となく毎日のように見ているが、同じ、太陽が何故朝夕と昼間の大きさが明らかに違って見える事を不思議に思わなかった。

解答者の先生の答は、「良いことに気が付いたね。同じ太陽の大きさが大きくなったり、小さくなったりするのは、誰でも同じに感じている。

しかし、本当はそれは錯覚です。

今度朝日が昇る時、丁度太陽の大きさと同じ円のアナを作って、そのアナを昼間の太陽に当ててみると、大きさが同じである事がわかります。

この錯覚は、周りに比較するものが有るか無いかで変わってきます。

朝日と夕日は周りに建物や山・林・海などのそばにあるが、昼間の太陽は比較するものがないから小さく見えるのです。」

又、ある小学生3年生の子が、質問した。

「てんとう虫は、何故丸くなって死んだ振りをするのですか。」

解答者の答は

「てんとう虫は普段は殻を伸ばして歩いているが、危険が来ると足を丸めてまん丸になり、そして体の中から毒の液を出して外敵から逃れる。

これを知っているので、鳥や他の虫たちは天道虫を食べない。」

このような質問が毎日寄せられている。

大人の我々でも全く気が付かない事を疑問に思って素朴に聞いている。

科学とはこんな所から発展していくのかと改めて思った。

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オリンピックが終り、悲喜こもごもの選手たちの情報が伝えられる。

時には過酷な報道が無神経に流されている。

勝負の世界は厳しいとは言え、選手たちは夫々精一杯戦ったのだから、褒める事は良いが、貶す事はいい加減に辞めてもらいたい。

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アフガンで、伊藤さんが惨殺された。

他国に行って危険を顧みずボランティア活動をすることは大変な事だ。

私にはとても考えられないが、世の中には素晴らしい勇気を持った人がいるものだ。

改めて御冥福を祈りたい。

「朝風呂で 聞く蝉の声 日々変わり 蜩鳴きて 夏の去り行く」

「壇上で 君が代を聞く 汗・涙」

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7月6日(日)-環境問題-「夜逃げして 一夜明ければ 知らん顔」

5日「北海道洞爺湖サミット記念シンポジュームinMOA美術館」が、500人の観衆を集めて開催された。

静岡県環境部長の開会挨拶に続き、熱海市長が歓迎を兼ねた来賓挨拶を行なった。

基調講演「地球温暖化の現状と将来予測」と題して、「国立環境研究所地球環境センター温暖化リスク評価研究所長 江守正多氏」の映像パネルを交えた判りやすい話があった。

残念ながら、時間の関係か、簡略された部分が多くもっと突っ込んだ話を聞きたかった。

後の5人にリレートークは、パンフレットかレジメの配布でよかったような気がした。

主催者としては、静岡県が如何に環境問題を真剣に取り組んでいるかをアピールしたかったと思うが、いささか焦点ボケがしてしまったのが残念だった。

しかし、その内容は現在地球上に起こっている環境破壊が如何に危険状態である事を、あらゆる角度から検討していた。

テレビ新聞等で連日報道されているものより、より具体的で良い勉強になるとともに、他人事で済まされないほど切迫した状態である事を改めて認識する事が出来た。

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テレビの対談で、加藤紘一代議士が、安倍前総理の最近の発言について、「昨年あのような辞め方をしたのだから、暫くは大人しくしたほうが良いのではないか」といっていた。

私も、当初は安倍さんの体調が予想以上に悪く、とても総理の重職に耐えられなかったのでやむを得ないと思っていた。

しかし、最近の行動や言動を見ていると、自分で撒いた火種を忘れて、現在の政治に批判を加えるような態度は許せないと思う。

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福田さんの政治姿勢が批判されているが、えこひいきでなく今起こっている難問題は、いずれも前から引きずってきたものばかりであり、マスコミの報道を聞いていると、あたかもすべて福田内閣の失政のように見えてしまう。

今日本の政治に課せられた最重要問題はなんと言っても、今回の洞爺湖サミットを成功させ、日本の信用を取り戻し、世界の動きの中での優位な立場を確保する事である。

それにも拘らず、相変わらず次期政権獲得を狙って、あらゆることに難癖をつけている野党の態度は、とても国益を重要視しているとは考えられない。

「夜逃げして 一夜明ければ 知らん顔」

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7月5日-老化現象-「夏に勝つ 歩行睡眠 深呼吸」

先日、市指定の身体検査を受ける。

まず身長・体重を量る。身長177センチ、体重73キロ。

23歳、新入社員のとき、身長は179.5センチ、体重68キロだった。

その後、体重だけはぐんぐん増え、最盛期は98キロ、後2キロで100キロの大台に乗るほどになった。

そのときは、血糖値が空腹時170~180あり、主治医から食べ物飲み物を控え少なくとも後20キロは痩せないと完全な糖尿病になってしまう、と注意されていた。

しかし、毎晩宴会や接待続き、しかも飲む時に食べる習慣が治らなかった。

67歳会社を退職する時、初めて胃カメラを飲んだ。

自覚症状は全くなかったが、悪性の癌が発見され、即時手術を行い、胃の3分の1を適出した。

そのお陰で体重が30キロ近く減少し、血糖値が100近くまで下がった。

その後少し回復して最近は72~3キロで収まっている。

***

体重は良いが、身長が2~3センチ短くなったのが気になる。

髪の毛が薄くなった分0.5ミリくらいは仕方がないとして2センチも減ったのはやはり年を取った為なのか、一寸寂しくなった。

自分では変わらない積もりでも、それ相応に年は誤魔化せない。

道を歩いていても、若い人にどんどん追い越されていく。

昔から周りの人には「岡さんは足が早くてついていくのが大変だ」と言われていたが、それも知らぬ間に衰えてきたのだろう。

意地になって未だにエスカレーターには極力のらない。

1日1万歩以上は歩いて何とか老化を少しでも防ぎたいと頑張っている。

まさに「年寄りの冷や水か」。

もう30度を超す日がやってきた。

水分を多めに取って今年の夏を元気に過したい。

「夏に勝つ 歩行睡眠 深呼吸」

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7月2日 落書き 「「便利さは 知らないうちに ボケ誘う」

イタリアの聖堂に日本の学生が落書きをして顰蹙を買った。と報じられた後、高校野球部の監督まで落書きをしていた。

これを聞いた時、私は「必ずどこかで連鎖反応的行動が行なわれるのではないか」と家族に話していたら、案の定、上越新幹線の車両に大きな落書きがされ、これを消す為に朝の列車が運転中止となった。

最近のマスコミは、面白半分気味に事件を報ずるため、その後に類似犯を起すネタを提供しているように感じているのは自分だけだろうか。

***

「パソコンが普及して物を考える学生が少なくなった」とテレビで大学の教授が嘆いていた。

最近は卒業論文などで、他人の文章をアレンジして繋ぎ合わせることが流行しているそうだ。

卒論に盗作事件は起きないだろうが、自分で考えもしないで、他人の論文の一部を繋ぎ合わせている。

我々も昔学生時代に、論文を提出するとき、他人の意見をさも自分の考えのように書いた覚えはあるが、読んで写したので、少しは自分のものになっていた。

今の方法は、まるでゲームをしているように、ただ文章を繋ぎ合わせるに過ぎない。

これでは全く物を考えない事である。

しかも驚いた事に、今度はこのようなことが出来ないように、パソコンに装置して防ぐ方式を開発しているそうだ。何のための勉強なのか、技術の発展が人間を駄目にして行くようで悲しくなってきた。

***

そういえば、自分もなまじパソコンで文章を書くようになってきて、つい便利なのでペンを取る機会が極端に少なくなった。

には挨拶状まで活字に頼るようになっていると、一日中ペンを全く取らない日が出てくる可能性もある。

そこで少なくとも日記だけは毎日欠かさないように努めている。

「便利さは 知らないうちに ボケ誘う」

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6月29日(日)エスパルス快勝「梅雨空を 弾き飛ばして 抱きあいぬ」

熱海駅発静岡行きの電車に、清水エスパルスのシャツを着た人が3人乗り込んできた。

それを見て、これから行く日本平に何か良いことが起きそうで嬉しかった。

***

清水駅に知り合いの先生が迎えに来てくださり、日本平スタジアムに向かう。

途中多くのサポーターが歩いていた。スタジアムに近づくに従い、声援の声が大きくなってきた。

梅雨空で今にも降り出しそうだが幾らか明るさが増してきて絶好のコンディションで試合が開始された。

今日負けるとJ2降格の危険信号がともされるのでなんとしても勝たせたい。

***

前半は、双方とも精彩を欠き、効果的シュートも見られず0対0で終わった。

隣で先生が解説をしてくれるので、選手の動きなどがよくわかる。

私は今まで野球一本やりで、正直に言ってサッカーはあまり興味がなかった。

しかし、先生に招待されて3・4度生の試合を見せてもらい、流れの途切れのない試合に段々魅せられてきた。

後半開始早々、今年エスパルスから移籍した「フェルナンジーニョ」に先制されてしまった。

京都サンガの応援団はいやがおうにも盛り上がっている。

しかしそれから5分くらいに後にエスパルスの枝村選手がゴールを割り同点に追いついた。

「今日の観客数が、目標の17,000人を上回った。」と先生が喜んだ直後、途中交代した原一樹選手がゴール前に突進、慌てたサンガのオウンゴールで、幸運の2点目が入り、そのまま逃げ切って勝ち点3を獲得した。

その時の先生を初めエスパルスの応援団の歓声でスタジアムはお祭り騒ぎを呈した。

***

帰りにシャトルバスの中でも、知らない人同士が今日の勝利話に花を咲かせていた。

「梅雨空を 弾き飛ばして 抱きあいぬ」

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6月27日(金)「梅雨空に 大和撫子 走りきる」

24日明治座千秋楽「剣客商売」を観劇、藤田まことが病気の為、平幹二朗が代役を勤めた。

やはり役者のタイプで舞台も変わる。テレビなどで見慣れている藤田の「秋山小兵衛」とは一味違うのはやむをえない。

しかし、急の代役にも拘らずそれなりにこなしていたのは、並みの役者ではない。

***

第2部「小柳ルミ子ショー」初めは「藤田まこと」と二人で歌う予定が、ワンマンショーになってしまった。

彼女は1時間近く一人で踊って歌って、よく続くと感心した。

自分で56歳と言っていたが、とても年を感じさせない。

***

芸能人も、人気を保持していく為には常に体力を整え、稽古訓練を欠かせない事がどれだけ大変なのかよくわかった気がした。

最後に「瀬戸の花嫁」を熱唱した。

30年以上前のヒット曲、ファンクラブらしき人達が舞台に駆け寄り花束や、プレゼントを渡している光景は、タレントたちにとって何事にも変えがたい励みになるのだろう。

***

陸上競技のオリンピック出場選手選考競技、400メートル障害の為末は体調不良のため決勝進出は最下位だったが、さすがに決勝ではトップでゴールに入った。

3回連続のオリンピック出場はすごい。

又、女子10,000メートルでは三選手のデットヒートの結果ゴール寸前、赤羽・福士両選手を振り切って「渋井陽子」が勝利をもぎ取った。

ゴール後3人がお互いに抱き合って健闘を称えていたのが印象的だった。

「梅雨空に 大和撫子 走りきる」

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6月14日(伝統と理屈)「腰まげて 冷や汗をかく 初夏の夕」

6月14日(伝統と理屈)

「伝統文化新聞」と言う日本の伝統芸能を紹介する、毎月発行される新聞がある。

その6月号に面白い記事が載っている。

***

パリのルーブル美術館で「ミロのヴィーナス」を見る機会を得た。

「像の姿勢の真似をしてみてください。やってみると辛い姿勢ですよ。それが美と力強さを表しています。」

これを見た日本舞踊板東流家元の、板東三津五郎さんは、父9代目板東三津五郎氏から、筋肉が痙攣するような激しい姿勢で体を止めなさいと、まるで荒行の如き稽古を受けた事について次のように言っている。

「痛いところで止めろと言うんです。極限の状態と言うか、そこまで行かないと腰が座らない。痛い形をしても痛くならないようにするのが稽古です。お客様が見ていて良い形というのは、役者には苦しい形です。楽な姿勢は決して感銘を受けないものでないと思います。」 何事にも通じるような気がした。

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もう一つ、舞踊家「村 尚也氏」のエッセイの中に

実は丁寧なお辞儀の作法とされる「三つ指を突く」のは、相手に対する無抵抗の表象であった。即ち、親指と小指ない状態の手は、相手を倒す武器がもてないからである。河童や鬼の指が三本で描かれる事が多いのも、おとしめ、反抗が出来ないようにする為に、特定の人々の親指と小指を切り落とした陰の歴史の寓話化だといえる。

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どんなしぐさでも、それなりに理屈が付いているものだ、と感心してしまった。

「腰まげて 冷や汗をかく 初夏の夕」

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