6月29日~吉村昭のふるさと~
南千住から徒歩8分、荒川区立荒川ふるさと文化館で開催されている「吉村昭ふるさと展」を観覧に行く。
規模は小さいが、中身は先生の幼児から戦争経験まで細かく記されていて、後の作品に現われていることが理解された。
日暮里の駅近くに生まれた吉村先生は、昭和20年4月13日の空襲で実家が焼けた様子を細かく記している。
私も中野で空襲に逢い、目の当たりに経験しているのでその様子が良く判る。
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戦前戦後に相次いで御両親を失い、先生自体も戦後肺結核に冒され、胸部の成形手術で肋骨を5本切除している。
正直に言って、この体で文学に志し、あれだけの大作を次から次へと出筆された事は信じられないほど精神力が強かったのだろう。
学生時代の同人雑誌仲間、津村節子さんとのおしどり夫婦作家は、傍で見ていてもお互いの立場を理解しつつ活躍されて、本当に珍しいと同時に羨ましい限りだ。
先生は、原稿の締め切りに間に合わない事は一度もなく、連載物は常に何回分かは用意されていたと言う。
先生のお宅に電話すると、奥様が直接出られることが多く、時には先生が応答される。
あれだけの作品の調査研究も殆ど御自身で行なっていたようだ。
「奥様が「芥川賞」を受賞したとき、先生はどう思ったか。」と言う質問に対し、
「これで生活の心配なく暫く自分の思っている仕事が自由に出来る。」と応えたそうだ。
吉村先生のお別れ会の時、津村先生の御挨拶は、実に清楚の上愛情溢れる言葉で、参加者は皆感動していたのを思い出す。
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先生と同年輩の、城山三郎氏との対話は、終戦前後の混乱期に同時代を生き抜いたお二人の戦争に対する考え、就筆活動調査の正確さ、そして生活態度は、お互いに共通する事を物語っている。
二人とも作家仲間との付き合いは殆どなかったらしいが、話が合ったらしくよく一緒に呑んだと言っている。
相次いで亡くなられたことは本当に惜しまれる。
あの世に行ってもお互いに言葉を交わしていることだろう。
「大家二人 戦争語る 夜寒かな」
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