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2009年5月

5月26日~映画は楽しい~

私達の青春想いでは、映画に尽きる。

大学の4年間はまさに映画を見るために有ったのではないかと思う。

邦画・洋画を問わず、新聞広告でまだ見ていない映画を探して観まっくった。

恐らく4年間で300本はくだらなかったと思う。

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2日前に、文芸春秋スペシャル季刊夏号「映画が人生を教えてくれた」が送られてきた。各界の有名人・評論家・小説家が映画に関する思い出話が掲載されている。

結構ボリュームの有る雑誌だが、一晩で読みきった。

いろいろのジャンルから見た映画論が飛び交って大変楽しく、50年以上前に帰って自分なりの映画鑑賞をしてみた。

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最近、上京する時、時間を作って映画を見ることにしている。

何より「敬老料金」1,000円は魅力だ。喫茶店に入ってお茶を飲むのと変わらない。

その上、最近の劇場は椅子も良いしゆとりが有り、私のような体の大きい者にとっては居心地がいい。

草臥れた時にはいい安眠の場所にもなる。

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各人が、今まで見た記憶に残る映画10選を述べているが、私も映画好きを自称していた時を思い出して自分の印象に残った10選を順位不問で選んでみた。

●邦画部門●

「生きる」
「酔いどれ天使」
「破れ太鼓」
「24の瞳」
「青い山脈」
「おくりびと」
「安城家の人々」
「東京物語」
「野菊の花」
「像を食った連中」

●洋画部門●

「運命の饗宴」
「ガス燈」
「心の旅路」
「ローマの休日」
「サウンドオブミュジック」
「大いなる幻影」
「第三の男」
「11人の怒れる男」
「カサブランカ」
「昼下がりの情事」

まだまだ、あげたい映画はいくつもある。

すこしゆっくりもう一度選んでみたい。

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主演した俳優も懐かしい名前がずらりと並ぶ。
最近はテレビで映画を流すが、コマーシャルが入ったり、途中電話が掛ったりして集中できない。
やはり映画は真っ暗な所でゆっくり鑑賞しなければ名画も台無しになってしまう。

過ぎた日の走馬灯のように、昔の映画のシーンが浮かんでくるのを楽しくさせてくれた雑誌に感謝している。

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5月22日~地球上の生物~

地球上に存在する生物は「動物」と「植物」と長い間思い込んでいた。

先日ある人のエッセイを読んでいて、「細菌」という存在について今までの考えが大きく間違えていた事に気が付いた。

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「菌」と言うと直ぐ「黴菌」と言う観念で有害と考えてしまう。今猛威を振るっている「新型インフルエンザ」がその良い例だ。

しかし、「菌」の中に日常の生活に欠かせない物が沢山存在している。

万一、物を腐らせる「菌」がなかったとすると、地球上は、動物の死骸、植物の枯木・腐敗物で覆われてしまうという。

これらの「菌」は放置されている死骸・腐敗物などを、分解し土に戻してくれる。

しかもこれが肥沃な土地を作り出して、植物の繁殖に寄与している。

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人間は、地球上に存在する物は何でも自分たちの生きるために使ってしまう権利を持っているように思い込んでいる。

他の動物・植物についても、生活の手段として勝手に利用している。

自分たちの食糧、あるいはペット、観賞用等わがままに賄っているし、植物についても同様である。

そのため、貴重な動物たちを絶滅に追いやったり、自然界を恵み深く保っている植物を根こそぎ破壊したりしてきた。

ここに来て自然界を勝手に発掘したり、破壊してきた付けが出てきて、地球の温暖化を初め、将来その存在自体が危険視される状態を作り出してきた。

この重大な課題について、やっと人間が気付いて「CO2」の排出基準を申し合わせる動きが出ている。

しかし、これも自分たちの身近な生活を維持するため、各国とも中々決断できないでいる。

今地球上に生活している我々が、将来の動植物の存在を無視して勝手な行動を取る権利があるのだろうか。

大きな危機が間近かに来ている事を改めてもっと真剣に考える必要がある。

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5月21日~裁判員制度~

国民が刑事裁判の一審の審理に参加する「裁判員制度」が今日から始まる。

かなり前からPRされてきてはいるが、内容についてはまだよく理解している人は少ないようだ。

選ばれる確率がそれほど多くないので、交通事故と同じで自分には来ないと思っている人が大部分なのだろう。

裁判員制度で一般の国民が審理に加わるようになった時、難しい事件はどうなるのか、暫くは注目をしていかなければならない。

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5月17日~調理長の想い出~

「井上保さん」の訃報が届いた。享年89歳、私の丁度10歳年長だ。

井上さんは、長い間後楽園食堂会社の洋食調理長を勤められた。

昭和40年前後、私は食堂・売店の責任者として、井上さんと2人3脚で働いていた。

当時はまだ組織も完全に整っておらず、労務関係もかなりアバウト、勤務時間も興行のスケジュールによって日替わりに組まれていた。

大小あわせて10箇所近くの食堂も、興行の種類によって忙しさは全く違っていた。

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井上さんは、いつも朝早く、仕入れから人員配置、メニューの検討と、夜遅くまで体力の続く限り頑張っていた。特に、「カレーのルー」造りは独特の調合で評判をとっていた。

当時、野球・競輪・場外馬券が重なった日は、後楽園周辺には15万人以上の人が集まり、どの施設も終日超満員、我々は食事を摂る暇もないほど追いまくられた。

特に園内の食堂は時間を急ぐ人は直ぐに間に合う、カレーが最も人気があり、信じられない事だが、わずか20席のカレースタンドで一日に1000杯以上売り上げた事も有る。

朝から仕入れていても途中で底を着き、裏では追加のルーつくり、表では事務所の人間も総出で、飯盛り・皿洗いと戦争状態が続いた。

その上、野球の試合が長引くと、帰りの客を少しでも拾う為、時間を延長することがしばしばあった。

一日が終ると、皆グッタリしていたが、売上金の清算で思ったより好成績だと疲れを忘れた。

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食堂は、表のサービスをするスタッフと、裏方の調理師とは中々上手く行かない。

しばしば衝突が起きる。忙しくなればなるほど皆いらだって言葉も荒くなり、それが重なってくるとお互いに相手を非難するケースが起きてくる。

その時、井上さんは間に入ってなだめ役に廻る。

色白で温和な語り口で双方を纏めていた。

本当は彼が一番疲れているのだろうが、おくびにも顔に出さない態度に私は随分救われた。

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あるとき、二人で相談をし、比較的夜早く店を閉められるとき、表の人を集め、裏のメンバーがサービスをして宴を設け、別の日には裏の人達に、表の人がサービスに廻る試みをしたところ、お互いにそれからわだかまりが解け始めた。

今度は表。裏を2班に分けて宴を開いてより一層の融和を図った。

こんな時、普段おとなしい井上さんは若い人たちの間に入って酒を注ぎながら話を聞いて廻っていた。

酒盛りの最中、カラオケのはしりで歌を歌う連中が出てきた。

そのうちみんなが、井上さんにも歌わせようとけしかけた。

井上さんは「生まれてから人の前で歌ったことはない」と初めは強行に拒否していたが最後は止むを得ずマイクを持った。

ところがこれが病み付きになり、その後の宴席では自らマイクを取りに来るようになった。

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今でも、一生懸命カレーのルーを作っていたときの真剣な顔、カラオケを楽しそうに歌っていた井上さんが思い出される。

歳に不足は無いとは言え、人と別れて行くことはなんともいえない寂しさを感じる。

今は御冥福を祈るだけだ。

「井上さん、ゆっくりお休みなさい。ありがとう御座いました。」

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5月14日~小学校の同期会~

今週の日経新聞「日曜俳壇」に、久しぶりに投句した句が選ばれた

 「忘れまじ 3月10日 友の顔」

昭和19年に、小松川第一小学校を卒業したが、その翌年の3月10日、私達の町は殆ど焼けてしまった。

その後暫くはお互いの交流はなったが、30年ほど前から有志が集まって同期会が始まった。

今年も先日11日~12日、熱海後楽園泊りがけで開催した。

参加者は例年より少なく、男7名女6名計13名だったが、カラオケ大会から、二次会と夜遅くまで和気藹々の宴が続いた。

二次会の席では、「一人一分ぐらいでスピーチをしよう」と言う提案で始めたが、ほとんどの人が、空襲の思い出話で、途中合いの手が入り、とても一分では終わらない。

疎開をしたまま田舎で過したり、終戦後焼け跡の掘っ立て小屋で過ごしたり、家族や親戚を失った思い出話は、全員共通の話題で、盛り上がった。

今年は一年病気で遅れた私を除いて、全員喜寿を迎えた。

卒業して65年元気で合える事を喜び合って、気持ちよく酔って床についた。

翌日は、バスを借りて、隣のニュー赤尾ホテルが経営している「ハーブアンドバラ園」の見学に行った。

丁度バラが咲き始めて香りが園内に漂っている。

中腹までバスで登り、そこから日本庭園で、日本一大きな松の盆栽の脇を通って、今度はバラのトンネルに入る。

途中休憩所の喫茶で名物の「バラのアイスクリーム」を食べ咲き乱れる花の中を入り口まで散策し、みんな満足して駅まで送ってもらい、秋に又逢う約束して解散した。 

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5月10日~健康と笑い~

最近、大笑いする事は精神的のみでなく、医学的にも大変有効と言われている。

しかし、一方では昔ほど腹から笑える機会が減ってきている気がしてならない。

経済的にはかなり恵まれてきているが、何となく普段の生活に潤いとゆとりがなく、心から笑える事が少なくなっている。

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雑誌「到知6月号」に特集「人間における(ユーモア)の研究」が掲載されている。

江戸時代の市井生活を風刺する「川柳」に始まり、バラティーに飛んだ人々のエッセイが目白押しで大変楽しく、又役に立つ。

その中に、合気道師範「佐々木将人氏」の「笑いの中に真理あり」が目に付いた。

佐々木氏とは、以前何度か講話を聞いた事が有り、面識もあるが、何度聞いても常に抱腹絶倒、腹が痛くなるほど笑わされる。

そしてその中に人生の達人とも言える教育的な話題が充満している。

今回の文章の中にも思わず笑ってしまう冗句が満ちている。少し内容を拾ってみる。

或る会合で3分間の乾杯の音頭を頼まれた。参加者は既に酒やビールを飲んでいて、私語が多く騒々しい。そこで「気をつけー」と号令をかけたら、会場はシーンと静まり返った、すかさず 「たった二人だけの私語が、二十人に迷惑する。それを四×五=二十」といったら大爆笑。「三分間の乾杯の話は長すぎるから、二分と六十秒で終ります。」と言えばまたまた爆笑。

「私は19歳の時、事故で左目をなくしました。これが私の自己紹介、お陰で女房は私に一目惚れ。私は八十二歳だが誰が見ても八一歳に見える。しかも八十二歳だが、この歯は自分の物だ」と、きれいな歯を指差して見せたら、「オー」と感心の声、すかさず入れ歯をとって見せたら大笑い。「この歯は、お金を出したから俺の物。しかしこの体はお金を出していないから俺の物ではなく、神様の物、だから神の体、神体(身体)と言う。

など、わずか3分間で10回以上も笑った。

 佐々木氏はこうしたスピーチの場だけでなく、人生を生きる上で、ユーモアは大変大切で、車のハンドルに遊びがあるように、心にも余裕がなければ、悠々とした人生は送れない。と説いている。

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元来、日本人はユーモアを解さない、と言われている。

そのため外交交渉などでもゆとりがなく不利な条件を飲まされる事が多いと聞く。

しかし、川柳のように、江戸時代にはエスプリの効いた話が多くあり、古典落語にも人生の機微にユーモアを感ずる話も少なくない。

ユーモアに富んだ人はなるには、かなり勉強もし、深い教養が必要である。

又逢って話を聞きたい人にはそれなりの駄洒落ではないユーモアを持っている。

少なくとも、そのような人のユーモアを敏感に理解できる人間にはなりたい。

経済不況や、新型インフルエンザにおびえている現在の世の中、大笑いの出来る話題を探してきて、明るく生きたいものだ。

「大笑い 不況も病気も 吹っ飛ばせ」

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5月7日~大楠祭~

5月5日、例年開催される来宮神社「大楠祭」今年は初めて小雨模様、それでも屋外大楠の前で式を挙げる事が出来た。

雨宮宮司の話で、

「楠は4月に若葉御生え変わってから旧い葉が落ちる。したがって秋には葉が落ちる事がない。」

そういえば、地元老人会で、毎月一日に境内の掃除をするが、この時期に一番落葉が多い。

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来宮神社の境内に5本の大楠があった。

或る時、村に災難が起き大金が必要になった。

村の責任者が集まって相談し、大楠を処分して換金する事に決めた。

3本伐って、4本目を伐ろうとした時、突然みんなの前に、白髪の老人が現れ、

「残った木まで伐ると、この村に大きな災難が降りかかる。」

といって姿を消した。

後難を恐れた村人たちは後の2本切るのを諦めたので、現在も残っている、と言う昔話が伝えられている。

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この大楠の周りを一回りすると1年寿命が延びると、言う伝説があり、観光客たちも、祈祷の後歩き回っている。

樹齢は2千年を超え、国指定の天然記念物に指定されている。

大楠祭の日に神子が、神社の近所西山に住み92歳の天寿を全うした日本初の文化勲章の受章者「佐々木信綱先生」作の

「来宮は 樹齢2千年の楠木のもとに み国のさかえ いのりまつらん」

という歌に合わせ、初夏の風に乗って舞を奉納する。

境内では、抹茶のサービスや、信者の婦人部が売店を開いて参拝者を喜ばせている。

「大楠の 若葉映えたり 神子の舞」

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5月3日~ゴールデンウイーク~

今年は暦の関係で例年より休暇が長く続いている。

折からの不況で、生産会社など調整の為操業を中止している所もあるので、10日以上も連続休暇を与えている所も有る。

毎年の事だが、GWの前半の観光地は普段より客足は悪い。

其処に来て、メキシコで発生した「新型ウイルス」が世界中に蔓延の恐れがある、と言う事で今後どのような影響が出るか全く予想が出来ない。

景気回復の一手段として実施された、「ETC利用の高速道路料金値下げ」の影響で各地の高速道路は以前の数倍混雑が増している。

テレビで映し出される混み具合は、各所で数10キロも渋滞している。

しかも、のろのろ運転の為追突事故が多発して渋滞に拍車をかけている。

通行料金は安くなったかも知れないが、長時間かけて運転していれば、ガソリンの使用料が嵩み、その上途中の食事代を考えると果たして節約になっているのか心配になる。

子供ずれなどは、トイレが問題、パーキングエリアで携帯トイレを配っている。

長時間運転してばてた父親がぼやいている映像が流れていた。

これでは、連続休暇は何のためか疑いたくなる。

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香港では、メキシコ人の旅行者から新型ウイルスが発見された為、同じホテルに宿泊した300人がホテル内に監禁されていると報じられている。

韓国でも保菌者が発見されたので、多くの日本人の旅行者が帰国後検疫を受けると、到着空港は相当に混乱が予想される。

これだけ騒がれているのに、折角とった休暇を愉しむ為に旅行を取りやめない人が後を立たない。

交通事故と同様、「自分は大丈夫」と思い込んでいるのだろうが、空気伝染をするウイルスが何処に飛んでいるかまったくわからない。

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世界中不景気で青息吐息しているのに、降って湧いたような「インフルエンザ」騒ぎは何か21世紀の地球の将来を占っているようで不気味に感じられる。

特に観光地への影響は拡大してくるのではないかと心配だ。

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4月30日~教育と裁判~

平成14年に起きた「小学生に対する体罰裁判」、最高裁で無罪判決が出た。

新聞報道のみによる範囲で、私は次のような感想を持った。

1:裁判を起した母親は、自分の子供のとった行動について、子供にどのように対処したか。訴訟を起こす事について、父親はどのような態度をとったか。

2:この体罰に対し、一方的に若い教師に有罪の判決を出した、一審・二審はどのような事を根拠に判断を下したか。

3:この判決に対し、鳩山総務大臣と、石原都知事の反応についてどう考えるか。

4:この裁判になぜ7年も掛ったのか、最高裁まで行く費用はどの程度か要するのか。

5:来月から実施される、民間から選ばれる陪審員は、この問題をどう捉えているか。

6:今後、教育について、先生たちは子供の指導にどのように対処すべきか。

最近、「モンスター・ぺアレンツ」についてある先生から聞いたが、我々旧い者にはとても考えられない現象が起きていると言う。

或る子供が教室の窓ガラスに石を投げた事を先生が注意をしたら、「校庭に石を置いている学校が悪い」と言って文句をつけてきた母親が居たそうだ。

女子生徒に乱暴をし、それを注意した先生を蹴飛ばした生徒。

親たちは子供に注意を与えているのだろうか。

子供のしたことについては反省もさせず、一方的に先生のせいにする家庭教育をしているのではないか。

子供の教育に厳しいと言われる外国人は、このニュースをどのように捉えているか、私は日本人として恥ずかしいと思う。

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話は変わるが、この5月から施行される「陪審員制度」について、昔見たアメリカ映画、私の大好きな(ヘンリーフォンダ主演)「11人の怒れる男」を思い出した。

或る事件で状況から見て初めは11人の内10人は有罪としていた。

ところが一人のメンバーが次々と疑問点を出していくうち、次から次へと無罪を唱える人が多くなり、最後まで抵抗していたメンバーも遂に折れ無罪となる。

詳しい事は知らないが、この映画では陪審員制度では「全員一致」が原則となっていた。

世の中は変わり、常識も変わってきているが、子供は小さい時からある程度厳しく鍛えていかないと、将来自分勝手な考えに凝り固まってしまうのではないか。

今一度、家庭教育を徹底的に見直す時に来ているのではないか。

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