10月7日(火)~卒業65年目の同期会~
昭和18年3月、私たちは東京の下町、江戸川区立小松川第一小学校を卒業した。
奇しくもその翌年、昭和20年3月10日未明、アメリカ軍B29による無差別大空襲の為、学校は勿論多くの人が家を焼失してしまった。
しばらくは誰が犠牲者かも定かでなかった。
社会人になって何年か経ち、有志により同期会が開かれたが、中々名簿が揃わず参加する人は少なかった。
しかし、幹事の人達が苦労を重ねてようやく40人ほどの名簿が出来、それから本格的に同期会が開催されるようになった。
今年は卒業後65年、皆喜寿を迎えた。2年越しに泊りがけで開催しようと言う事になり、10月6日十六人が熱海後楽園ホテルに集まった。
当日の出席者は、男性12人、青木・上田・岡・君塚・小松崎・渋谷・高橋(晋)・高橋(秀)・福田(武)・堀口・渡辺、女性は四人・大竹・坂田・永野・西川。
全員2時間前には集合、ゆっくり温泉に入り、早くも部屋で酒盛りが始まった。
午後6時宴会場に集合、番号で席を決め、まず集合写真を撮る。
仲間には、元朝日新聞部写真部の小松崎、そして広告会社社長の渋谷、と言うプロが居る。
何時もこの二人が叮嚀に思い出を写して編集してくれる。
別に気取った挨拶も無く、早速乾杯に入る。30分くらい経って、大竹さんの提案による、“ビンゴゲーム”を始める。
童心に帰ってゲームは佳境に入る.どういう訳か、賞品5つの内、3つを女性が占めた。
大騒ぎの後、カラオケ大会に入る。旧い歌が出るは出るは、延々3時間近くの宴会になった。
その間適当に席を移し、お膳をはさんで昔話が飛び交う。
最後にみんなで『貴様と俺とは同期の桜』の合唱をして取りあえず宴会を終了し、二次会場に移動する。
上田の提案により、一人3分の約束でスピーチを始めた。話し出すと、とても3分では止まらない者も出るし、途中野次も飛び、昔の暴露話もあり大いに盛り上がった。
小腹が空いて来て、ミニラーメンを注文、出前が来るまで又話が進む。
11時過ぎにようやくお開きになったが、まだ話し足りない人たちは、夫々の部屋で夜中まで起きていたようだ。
***
翌朝、用事のある人は先に帰ったが、10人ほど、ホテルの用意してくれたバスでMOA美術館に向かった。
丁度『黄金の国ジパング展』が開催されていて、オリンピックの北島選手の金メタルも飾られていた。
観覧の後、10gatu6ka食堂でコーヒーやビールを飲みながら又30分ほど雑談した。
皆満足そうで、来年は初夏『バラ園』の観賞を織り込んで企画する事を約束して、別れを惜しみながら熱海駅で解散した。
***
坂田さんから、空襲の体験を書いた随筆を貰った。
家に帰って読んで当時の事を思い出し、思わず涙が滲んできた。
お互いに戦中戦後の苦難な道を経てきているので、思い当たる事ばかり、今日まで無事に来られて本当によかった。
後何年続くか解からないが、健康に留意し、来年も再来年も元気で会いたいとだれもが思って家路に着いた。
「語り合う半世紀の秋よみがえり」
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